2010年05月24日

もうあれから3年・・・思い出の全国A

当時、4月下旬から地区予選が始まった。お祭りのスタートだった。
しかし、5月の那須遠征で事件がおきた。
骨折をしてしまった選手もいた、事件と合わせて大変な事になった。
その事は、今でもシッカリ脳みそに、こびり付いている。
病院探しや各所への連絡など、さすが年の功
ケイゴ、トシの父ちゃんは冷静に対処していた。
代表はアタフタしているだけだった。

子供達がだけが悪いわけでない、大人の責任もある。
こんな事では全国なんて無理だと、気合と反省の念を込めて
こんな頭にしてきた保護者も現れた。
坊主T.jpg

この人とあと一人、こんな頭にした人が居た。
その二人・・・・
今、コーチをしてるなんて口が裂けても言えない・・・・

なんとか、県大会出場が決まり、江南南運担当コーチ「運の西田」と呼ばれる。
西田コーチが抽選会場に向うのであった。
そして、1回戦の相手は・・・   続く

投稿:高橋

posted by 江南南 at 17:24| (OB)23期だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

もうあれから3年・・・思い出の全国@

早いものでもうあれから3年・・・
全国は本当に良かった。
26期がんばれ!

当時を振り返りながら、高橋がリポート。

OBが企画、進行をしてくれた全国大会壮行会

23期全国壮行会.JPG


来月早々26期の全国をかけた県大会がはじまる。
8月に夢の様な日々を過ごす為に、選手も親も全てを出し切って戦え!
絶対全国大会は無理と思われ続けた23期が出来たんだ!
26期も大丈夫!上げ、上げだ!

23期当時、お正月の静岡の大会で決勝でヴェルディを破ってなんと優勝。
これは・・・と自惚れていたら、新人戦ではちょろり県大会2回戦で負け。
この時から、当時の役員の暴走がはじまった。

考え方を変えた「全国大会に行くんだ!」では無く「全国大会に行く事は決まっている」
全国の方から自分達に近づいて来るんだ。
その為には、それにふさわしい日々を送らなければ・・・
と、こじ付けモチベーションを上げ日々を過ごす。

まだ、県大会が始まっていないのに、福島の旅館を予約しようとしたら
「事務局から割当が来る事になっているので、予約は受付けられない」と
断られた。

全国大会出場を地元に知らせて、応援を募るチラシは既に出来上がっていた。

千羽鶴は一人一羽だ!と言う事で保護者、選手一丸となり
親、親戚は勿論、学校の先生、OB達、地元の商店の人、取引先、また
練習試合に来たヴェルディやJSC、イーグルスやバディの選手達にお互い
全国で会える様にと、適当な事を言って鶴を折ってもらった。
けど、都会の子は半分以上鶴が折れなかったので、ケイゴのかあちゃんに指導
してもらった。

そうして、集まった鶴の数が・・・・
1521羽だった。
ゴロ合わせで「イコーニホンイチ」と読み凄く、みんな盛り上がった。
当時、車を変えた高橋兄はナンバーを「1521」にした。
足せば「カブ」になる縁起の良い数字だ。
最近車を変えた高橋弟も「1521」にした。
卒団して3年経つのに・・・・

そして、さらに・・・
役員の暴走は続くのであった。
監督に怒られたらやめようと役員で話していたが、その時点では
まだ大丈夫だった。

続く

投稿:また、こんな事を書き始めて監督がちょっと怖い 高橋


posted by 江南南 at 22:42| (OB)23期だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

栗田コーチやったね!

奇跡がまた一人の青年を包み込んだ!
「栗田コーチやったね!」
見事、夢の扉をこじ開けた!
そう、絶対無理と言われた23期を「運」担当西田コーチと一緒に奇跡の
全国大会出場へ導いた時の様に・・・・

教員免許試験合格おめでとうございます。

このドキュメンタリーは栗田コーチの合格に、こじつけて宴会好きの
江南南OB23期が開催した
「栗田コーチやったね!09’酔う。」祝いの宴の模様をリポートします。

10月も終わる金曜日の夜、日中は汗ばむ程の陽気で地球温暖化を心配しつつも
深谷市にあるお好み焼き「道頓堀」改め「太陽」に多くの23期の選手、保護者達が
集まった。中には塾やクラブの練習をサボり駆けつけてくれた者もいた。
また、どーみても塾が似合わない奴が「塾を休めない」と泣く泣く欠席をした
子供もいたが、親だけはしっかり参加した家庭もあった。

みんな、お世話になった栗田コーチの為に集まった?
残念ながら、西田コーチはどうしても都合がつかず欠席だったが、次回のリベンジに燃えて
「監督、栗田君、皆さんに、くれぐれもよろしく」とのコメントを残した。
(くれぐれもよろしく・・・これはまた宴会を開けという事か・・・・)

栗田コーチやったね 004.jpg

思えば、鳥取から上京し大学の部室にあったサッカー雑誌で江南南の記事を見つけ
いきなり、町営Gに来て「コーチをさせて下さい。」と監督に嘆願したそうだ。
そして、担当する事になったのが当時3年生だった23期。

23期のメインコーチは、担当学年全てで全国大会出場!の偉業を持ち、
指導力も去ることながら、誰もがその「運」と「酒」の強さだけは認める西田コーチだった。

ここに、西田、栗田の何といい表して良いのか分からないが凄いコンビが誕生した。
そもそも、その後23期が巻き起こす奇跡はこの時点で始まっていたのかもしれない。

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栗田君は大学と卒業と同時に鳥取に帰ると思っていたから、一緒に卒団出来れば良いと
思って、3年生の担当になってもらった事、23期が4年生くらいの時片山との練習試合で
ケチョン、ケチョンにやられていたのを見て、この代の全国は無いなと確信した事。
07夏県予選で、FC浦和が負けちゃった事、天気の事、入らないと思っていたFKが2本入っちゃった
事をみて、伊勢の神様は凄いなと感じた事等を監督からの挨拶でありがたく頂いた。

オミさんの堅い司会進行に従い、クロダさんの乾杯で宴は幕を開けた。
乾杯を済ませると間もなく、監督と栗田コーチは子供達のテーブルの方へ久しぶりの再開に喜び
子供達と色々な話で盛り上がっていた。
中学2年、久しぶりに会う仲間達とちょっと恥ずかしがって、話しが出来なかった子供達も、監督と
栗田コーチと話すうちにすっかり、昔の様に笑顔で再開を喜んだ。

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ここで、タクムがどーしても栗田コーチに渡したい物があると席を立った。
ちょっと、お互い恥ずかしそうにプレゼントを受渡する。
きっと、栗田コーチはドキドキだった。
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そして、そのプレゼントされた物とは!
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鳥取Tシャツ! ナイス タクム!
ご満悦の栗田コーチ。
読みずらいが「鳥取は島根の右側です。」と書いてある。
会場のみんなは腹を抱え、ビールをこぼし、爆笑しながら、口を揃えて、
「あ~そうだったんだ」と鳥取の位置を確認していた。
とても勉強になったTシャツだ。
でも、これをKOYAMAコーチが見たら・・・・へたな、漫才よりも強烈なツッコミを入れてくるだろう。

宴も進み、酒を飲まないオミさんの堅い司会は変らず、記念品の贈呈へと
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その時、子供達からのサプライズ!
クラッカー攻撃!と色紙!いつの間にこんな仕込みを・・・・
23期のクレイジー保護者達のこれまでの数々の宴会の仕込みをしっかりと学んでいたようだ。
「お父さん、お母さん達はうれしいぞ!」
記念品は、暖かい手書きの字を沢山子供達に書いてあげて下さい。
と言う事で万年筆を贈らせて頂きました。

相変らずの堅い司会者は最後に当時アゲアゲ、イケイケの暴走しまくり役員で、監督を悩ませた
伝説の高橋兄弟に無理矢理挨拶をさせる。
「やだよ」「いいよ」と言いながらも、まんざらでない高橋兄弟の挨拶でありました。
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締めは、残った当時の役員カツヤマさんの決まり文句!
「宴(えん)たけなわプリンホテルでございますが」
でお開きとなりました。
栗田コーチ本当におめでとうございます。
23期一同
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とここで話は終わらず・・・・・
中学生になった子供達が栗田コーチを胴上げ!
「ワッショイ!」「ワッショイ!」
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カットインしバンザイに参加するカッチャンであった・・・・
さすがスキが無いというか、ツボを押さえてると言うか・・・

posted by 江南南 at 19:06| (OB)23期だより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする