この春、中学、高校を卒業した学生たちの入学は3年前あの大震災の後。
色々な想いを抱きながらの、進学先でのスタートだった事だろう。
23期もその学生たち。
15歳の挑戦を確認した同窓会。
それから、3年が経ち1月のある日、またみんなが集まった。
久しぶりに会う子供たちはすっかり、いい青年になっていた。
そこには、グランドの顔とは全然違う。松本監督。
全国出場率100% 担当した代を全て全国に導いた男。
現在、出世街道まっしぐらで充電中の「運の西田」
大学生の時、原チャリ、アポなしでグランドに来て江南南がどういうチームかよく知らず、
たまたま寮から近いと言うだけの理由で監督に「コーチやらせて下さい」とお願いした。
「怖いもの知らず 栗田」
22期の時の悔しさから、23期から「GK繁田組」を立ち上げて全国出場というリベンジを果たし、
若かりし頃には「ゴング」にも載った事のある.
「ジャーマンスープレックス繁田」
の各コーチも来てくれた。
23期は24名であった。
国公立の大学にチャレンジする者、都合がどうしても付かない者が泣く泣く欠席だったが、16名が集まった。
みんな、いい顔をしていた。
自然と監督、コーチの周りに集まり色々な話をして盛り上がり、当時の様に栗田コーチにじゃれる奴もいた。
近況報告では、一人、一人が立ち上がり、親、周りの人への感謝、夢や目標をしっかりと自分の言葉で話した。
中学、高校でサッカーから離れたが、しっかりとやり通し大学を決めた奴。
プロになると宣言した奴。
中学でサッカーから離れ、高校で復活。サッカーが大好きな自分に気づき大学サッカーへの挑戦を決めた奴。
大学卒業後は、家業を継ぐと親の前で初めて宣言した奴。
親父のようなサッカーコーチになりたいと、これまた、親の前で初めて宣言した奴。
高校サッカーの指導者を目指すと宣言した奴。
レスキューになると宣言した奴。
みんな立派になった。
確かに、日本代表に選ばれた者、選手権に出場した者、インターハイで準優勝しや者、
プレミアリーグ、プリンスリーグに出場した者もいたが、高校でキャプテンを務めた者が
2人いたこともうれしかった。
一人、一人がしっかりとやり通し発した言葉は本物だった。
とうちゃん、かあちゃんも頑張った。
高校のサッカー部 保護者会の会長。
なんと、3つの高校の会長は23期の親だった。
子も親も共通していたことは「がんばり通した。」ということだ。
これが、子も親も江南南から学んだことだろうと勝手に高橋弟は思っている。
あれは、6年前23期の謝恩会の時。
監督の言葉の中に
「江南南出身の子は上手いね」と言われても嬉しくない。
「江南南出身の子は強いね」と言われても嬉しくない。
「江南南出身の子は頑張れるよね、やり通すよね」と言われることの方が嬉しい。
という言葉があったのを覚えている。
彼らもこの言葉を覚えていたかどうかは分からないが、このチームで過ごすことの出来た貴重な経験から、
心と体に「がんばる」の素の根はしっかりと張っていたのだろう。
挑戦は続く、次に彼らに会う時。また、彼らの言葉が楽しみだ。
次の練習で、ジャーマンスープレックスを喰らわないか心配な高橋弟
23期の主な進路
埼玉大学
千葉大学
青山学院大学
立教大学
法政大学
専修大学
日本体育大学
亜細亜大学
国士舘大学
大東文化大学
東京経済大学
城西大学
東京国際大学
専門学校